グレイスゲートチャーチの牧師、近藤成次と申します。
私は2012年3月に59期生として生駒聖書学院を卒業致しました。
【生駒聖書学院生時代の思い出は?】
私が初めて生駒聖書学院の門をくぐったのは、2008年10月、体験入学でした。当初、実は生駒聖書学院は、母教会の恩師の勧めもあったので体験入学に参りましたが、正式に入学することは考えていませんでした。ペンテコステの極みである学校、全寮制の修道院のような場所、異言による猛声祈祷という馴染みのない言葉等々、聞き馴染みの無い文化に色々な誤解があり、入学を躊躇していました。また、私を遣わした母教会は、聖霊様の力に対する理解はありましたが、異言の賜物を教会全体で認めている様な流れにはなかったことも、関係していたと思います。
しかし、体験入学の直前や当日に、多くの不思議な導きがあり、神様の御心を受け取る事を決め、2009年4月に入学を致しました。確信はあったものの、入学式の当日まで、自分の様な弱さを抱えた者が、この神学校でやっていけるのかと不安を抱えていました。その様に始まった学院生活でしたが、力強い神様の臨在と、神学生達の明るさと愛によって、不安は安心と期待に変えられて行きました。
固定概念が払拭された伝道実習
生駒聖書学院の楽しい思い出として、最も心に残っていることを書きたいと思います。
それは、毎週行われた伝道実習です。生駒聖書学院は毎週火曜日の授業後、伝道実習があります。私達の時代は、毎週大阪の西成区まで行き、そこにある教会で伝道集会を行っていました。
出発前に、その日救われる魂が起こされるように皆で心合わせて祈り、教会に到着するとトラクトを持って1時間ほど西成の街に伝道に出かけました。十字架を背負って歩き、人が集まる所で福音を伝え、そこで止まる人には直接声を掛け、集会に誘いました。その中で、神様を全く知らない方々が、毎週のように信仰告白をし、救われていきました。
3年間の伝道実習を通して「伝道は難しい、伝道はしなければいけないもの」という固定概念は完全に払拭され、救われる魂を見続けることで、伝道は献身者として、最もやり甲斐のある楽しい事だと知る事が出来ました。また、雨の日は集会に誘える人がいなくなってしまうので、活動中は雨を止ませて下さるように、皆でよく祈りました。すると、私たちが現地に着くと同時に雨が止み、伝道の時間が終わると、また雨が降ってくるという、天候さえも支配される神様の露骨な奇跡を、何度も体験することが出来しました。
その内、伝道実習の日だけでは物足りなさを感じる様になり、三年生時には、木曜日の夜の自習時間後から消灯時間までの間も生駒駅に行き、家に帰らず時間を潰している方々に伝道するようになりました。元来、伝道に対してその様な積極性を持ち合わせていなかった私には、その変化こそが奇跡であったように思います。生駒聖書学院の中に流れている救霊の精神が、自然と私を変えてくれました。
人が救われる喜び、福音が孤独な人にもたらす愛の回復を何度も目の当たりにした事は、私の献身者人生を、言葉に出来ない程変えました。
大きな影響を与えてもらった諸先生方との出会い
また、経験豊かな講師の先生方との出会いも、その後の生き方に大きな影響を与えました。現役で活躍されている牧師先生方の貴重な体験談は、卒業後の様々な働きにおいて、大きな支えになりました。
現在もそうなっています。
特に、弟子訓練の重要性とその方法を、実践的に体験させて頂けた金沢康裕牧師先生の授業は、卒業後だけではなく、在学中も母教会内ですぐに役立ち、大変助かりました。
(卒業後の自分の働きの形が、うっすらとでも具体的に見えるようになることは、神学生にとって、とても大切な事だと思います。実践的な学びを旨とする生駒聖書学院においては、それを掴みやすいかもしれません。)
また、第一線で活躍中の様々な牧師先生方だけでなく、他教会から遣わされている神学生達から、お互いの教会の話を聞くことで刺激を受け、それまで見えていなかった、教会とは何かという『教会観』が少しずつ備わっていきました。それは同時に、牧師としての在り方、働き方、方向性を学べたということでもあったと思います。
勿論、全寮制で人の集まる所ですから、気分の良い事ばかりではありませんでした。聖書に「人はその友によって研がれる」とある様に、互いの人格的な未熟さから、神学生同士でぶつかり合うこともあり、共同生活にストレスを覚えることもありました。しかし、その研鑽こそが、卒業後に大いに牧会現場で役立ちました。また、その生活の中で生涯の信仰の友を得ることが出来た事は、何よりも大きな祝福でした。今でも牧師同士でしか話せない事を話せる親友が、生駒聖書学院在学中に与えられた事に感謝しています。
【卒業後の働きを教えてください】
卒業後、母教会の昭和橋キリスト教会の主任牧師である木下信行牧師から伝道師の按手を受け、1年間伝道師として教会に仕え、その後、同じく木下信行牧師から主任牧師としての按手を受け、教会の働きを引き継ぎました。卒業後から、伝道を念頭に置いた教会形成を目指しました。方法や手段は色々変わりましたが、現在に至るまで、『伝道を念頭に置いた教会形成』『宣教と養育が出来るキリストの弟子を育てる』という、生駒で与えられた牧会哲学は今も全く変わってはいません。
「祈り」から始めた会堂建設
神学校卒業後、最も大きな変化は、卒業から5年目の2017年5月に会堂建築に着手したことだと思います。会堂建築に当たり、最初に始めたのは、断食祈祷院での40日間の断食でした。また、会堂が建つまで、毎週金曜に徹夜祈祷を行うと決め、23時から早天祈祷開始の6時まで会堂に集まり、皆で心を合わせて祈り続けることをしました。
その後、教会の兄弟姉妹達の祈りと、皆の尊い努力の結果、2019年の1月1日の元旦に、新会堂で礼拝を捧げることが出来ました。最初は必要の十分の一しかなかった経済も、最終的には全て満たされ、無借金での会堂移転が出来ました。
住所が変わった事により、それまで地域名から付けられていた『昭和橋キリスト教会』という名前も、地域の恵みの門、救いの門になるという意味を込めて『グレイスゲートチャーチ』へと変え、今は新しい地でこれまでの伝統も大切に引き継ぎつつ、新たな一歩を踏み出しています。
『何事も、生きて働かれる神様に期待して、まずは祈りから』という霊性は、生きて働かれる神様をいつも体現して下さった元院長である榮義之先生の挑戦を続ける姿と、副院長の前田基子先生の純粋で清い生き方を見ていた事、そして毎朝の猛声祈祷の体験から、自然と身についたものでした。
もし、生駒聖書学院の校訓である「不可能は挑戦となり、可能となる」を見せ続けて下さった先生方との出会いがなければ、もし、祈りから始める生駒の精神が根付いていなければ、会堂建築の計画は今頃頓挫し、ひどければ不一致から分裂騒ぎにでもなっていたのだろうと思っています。
私に足らなかった積極的な信仰を、忍耐を持って育んで下さった生駒聖書学院の先生方には、今も心から感謝が絶えません。
苦しい時にあっても目を向けるのは
会堂移転後、新しい地で活動を始める矢先に、コロナによる苦しい期間を通りました。
しかし、それは同時に卒業後の働きを見直し、静かに内省をする時間を持つ期間ともなりました。
その中で、『神様に可能な事だけに目を止めるのではなく、神様が人間と共同作業をする上で選ばれる手段にも目を向ける謙りを持たなければならない』(※ダラス・ウィラード「心の刷新を求めて」より抜粋)と心から確信するようになり、「神様に可能な事と、神様が私達を通して取られる手段のバランス」を大切にしています。
生駒での経験と、実際の牧会の現場に出てからの経験から、宣教は、一人の信徒の『健全な霊性の形成』から始まることを、牧会の痛みの中から悟ることが出来ました。今は一人一人の健全な霊性の形成にしっかりと目を止めつつ、宣教の働きを進めていこうと思っています。
【今後のビジョンを教えてください!】
グレイスゲートチャーチのビジョンは、『キリストの弟子を育てる事』です。
私にとってキリストの弟子とは、『神の子として、健全な神観とアイデンティティを持ち、日々の恵みに目が開かれ、神と人を愛し、感謝の思いから宣教、奉仕を成し、人を建て上げ、教会を建て上げる人』を意味します。
卒業後、絶えず弟子訓練を念頭に牧会を行ってきました。しかし、その中で全く予想もしていなかった痛みも体験しました。そのような痛みを体験する中で、導き出されたのがこのキリストの弟子の定義でした。このビジョンを目指して働く中で、教会の兄弟姉妹達の健全な霊性の成長がある事を感じています。そして、この働きの全てが、生駒聖書学院での学びから始まったものです。
【献身を考えている方へのメッセージをお願いします】
「祈りと御言葉の力」に純粋に信頼し、献身者として人生を捧げたいと願われている方には、生駒聖書学院への入学を強くお勧めいたします。生駒聖書学院では、聖書の学び、伝道や説教、弟子訓練、奉仕等に至るまで、全てにおいて実践的訓練に重きが置かれています。少なくとも、私は牧会の現場に出た後、この方針に大いに助けられる事になりました。卒業後、牧師になって10年になりますが、牧師を続けられた事一つを取っても、生駒聖書学院での学び無しに、今の自分はいなかったと言い切れるでしょう。
勿論、完璧な神学校は存在しません。卒業後、足らない部分を自らが学び続ける事で、補うことが必要です。しかし、始まりはとても重要です。最初に行く神学校によって、その後、伝道出来る牧師になるのか、伝道出来ない牧師になるのかが決まると言っても過言ではないと、様々なことを見る中で、思わされています。
牧師もそれぞれ賜物が違い、働き方も違います。しかし、宣教の墓場とも言われる日本で牧師を目指すならば、伝道をはじめ、様々な実践的な活動が出来る事は、必須要素になって来るのではないでしょうか。これは卒業後、開拓の道に進む場合でも、既存の教会の中で働きをしたり、牧会を引き継ぐ場合でも同じだと思います。
もし今、神様の愛に応えたいと思われ、生涯を献身者として捧げたいと思いながら、不安や恐れで躊躇している方がこれを読まれているなら、ぜひ、生駒聖書学院の門をくぐってみてください。それまでにはなかった神様の臨在と、次々と備えられる様々な恵みが、あなたの献身の決心を祝福し、支え始めてくれるでしょう。
『不可能は挑戦となり、可能となる』
これを読んでくださった方に、神様の確かな導きと、豊かな祝福があります様に、お祈り致します。
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