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私の罪を赦すため 小笠原彩

更新日:2023年7月10日

生駒聖書学院 第72期

小笠原彩

和歌山ゴスペルライトセンター



救いの証し

ハレルヤ!主の御名を賛美します。

私は小さいころからイエス様という存在を身近に感じていました。母が当時母教会で行われていた子育てサークルに参加したことがきっかけとなり、両親が救われました。物心ついた時には、毎週日曜日は家族みんなで教会に行くことが一週間の習慣となっていました。

幼心ながらに、イエスキリストが私のために十字架にかかってくださったこと、そしてイエスキリストを自分の神さまだと信じ、1998年12月20日に洗礼を受けました。


当時から教会がとにかく好きでした。とくに教会学校で先生から信仰生活で必要なことをよくわかるように教えてくださり、礼拝とは神さまにささげるものだ、ということをよく教えてくださいました。

10代、20代と月日は流れる中で、中学校から続けさせてもらってきた賛美の奉仕に行き詰まりを感じるようになっていました。賛美は神さまにささげるものと教えられてきたはずなのに、前に立ってリードするとなると、自分が出てしまうのです。礼拝の賛美は私が導いているのだ、という高慢な心が知らず知らずのうちに大きくなっていってしまっていたのです。それまでは大好きだった賛美をしていても喜びを感じなくなりました。これでは教会の皆さんに迷惑をかけると思い、祈って牧師先生に相談しました。先生は最初驚かれていましたが、私のことを汲んでくださり、奉仕から降ろしてもらいました。


やめてからしばらくは、大切にしていた礼拝に行くことすらつらく、かろうじて毎週出席している、という状態でした。自分のせいで招いた結果なのに、それでもまだ周囲のせいにして自分を正当化していました。どれだけ自分が可愛いかが分かって来て、そんな自分が嫌になってきていました。神さまからも大きく距離を取られていることを勝手に感じてきました。もう、信仰さえもなくなりそうになっていました。このままではいつまでも神さまとまっすぐな関係になれない。神さまともう一度真正面から向き合いたい、という気持ちになってきました。そうするには、自分と向き合わないと解決しません。自分の罪を告白し、悔い改めの祈りに導かれました。


それからしばらくしたある日の礼拝賛美中、自然と心から喜んで賛美することができている自分に気づきました。神さまは立ち返らせてくださったのです。私が礼拝者として回復することを待ち望んでくださっていた主に感謝しました。もう一度神さまに従う歩みをしたい。そう思った私は、10年間続けて来た保育士の仕事を退職し、2022年4月に生駒聖書学院に導かれて入学しました。


入学して最初の授業で救いの証をしてください、と言われ、非常に困りました。いつ、イエスキリストを私の主としてお迎えしたのか明確でなかったのです。ふと、母教会を開拓された先生が生前に書かれた伝道向けのわかりやすいトラクトを手に取って読みました。そこに書かれていた福音に、私こそが罪人であることを教えられました。人よりも自分の方が勝っているという傲慢な心。人を批判し、心の中で裁く心。自分が正しい考え方をしているという傲慢さ。どれもこれも、神さまから嫌われることしかしていません。そしてこんな私のためにも、イエスキリストは十字架でその罪すべてを背負って十字架にかかって死んでくださいました。この十字架は、私の罪を赦すためだったことが分かった瞬間、感謝が涙となってあふれ出て止まりませんでした。十字架の理解がはっきりと鮮明にわかりました。それまではどこか朧気だったところもありました。しかし、あの日から私はここまでのことをしてくださった唯一の救い主イエス様、罪の束縛から解放させてくださった救い主イエス様についていく人生に変えられたことを確信しました。


今まで自分の力でやってしまおうとしていた考えから、主のしもべとして歩ませてもらいたい、という考えに変わりました。喜びもって、主にお仕えしていく人生に変えられたことを、私の主、救い主であられる主イエスキリストに心から感謝し栄光をおささげします。


生駒聖書学院に導かれるまで


献身の思いが与えられてから仕事を退職する旨を伝えて、それから神学校を探し始めました。なかなかここだという導きにあずからず、退職する日だけが近づいていた新年あけて初日、眠る前に「今年初めて見る夢を神さまからのものにしてください」と祈って寝ました。


神さまは私に夢を通してある神学校を教えてくれました。私が知っているとある教会への道が見え、そのあと場面が切り替わり、今度はその教会の先生がどこかの神学校で教えておられるという講師紹介のホームページの画面でした。とても鮮明な夢だったので、起きてすぐに調べました。すると、なんとホームページで見た講師紹介の先生の位置と、また背景の色までまさに一緒だったのです。その神学校とは、生駒聖書学院でした。


夢で与えられましたが、召命のみことばがまだでしたのでさらに祈り求めました。なかなか与えられずにいましたが、母教会の先生から通信生から始めてみたらどうかというご提案をいただき、2022年4月に入学することができました。召命のみことばは、実は入学式のときに与えられていましたが、それが確信となるまでさらに1か月半ほどかかりました。しかし、神さまはしるしをともなってそのみことばを確かなものとしてくださいました。行って、主の救いの実をならせ、その実がいつまでも残るように主のしもべとして日々生駒聖書学院で整えられてまいります。


あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。(ヨハネの福音書15章16節)


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